今朝4時に起きて外を見た時は、雪は積もってないし、そんなに降ってないし、良かった〜
と喜んでいたら、5時頃から猛烈に吹雪いてきましたね💧わたしゃ、もーイヤじゃ...
とブツクサ言っております、大福の大阪屋 大坂優子です。
昨日読んだ絵本は「いしゃがよい」。
「医者が良い」?と思って読んだら「医者通い」だった(笑)
前回は、いまいち調子が出なくて、悲しい…ばかり書いてしまった。
やっぱりね、普通には生活してても、気持ちの奥底は下がったままで、「ゴー!ゴー!」みたいにはいきません(当たり前か)。
父のこと。
ワタクシ、父をどう思っていたんだろう。
自慢は大嫌いなのだが、正直に言うことは好きだ。そう、父は凄い人だ。本当に。
それが父に対して出てくる正直な言葉だ。
幼い頃に自分の父親を病気で亡くしてしまった、ワタクシのお父さん。
どうやらワタクシの祖父は今で言う若年性のアルツハイマーだったらしい。なかなか良い勤めをしていたのに40代で「頭がおかしくなった」「気が狂った」と周りから言われ、長いこと病院に入っていたようだ。お父さんがまだ小学生の頃だ。
昔は今みたいに、色んな病名が一般庶民に認知されていなかっただろうからね。
そこからワタクシのお父さんの地獄のような少年時代が始まったワケだ。
人には言えないような貧乏生活。それを言うと「昔はみんな貧しかったから」と言う人がいる。
そんなんじゃないのさ、お父さんの貧乏は。
お父さんは昭和18年生まれ。いくら昔と言ってもお父さんが小学校に上がる頃には殆どの子供達が、義務教育を普通に受けていたはずだ。
だけど、学校に赤ん坊の弟(ワタクシの叔父)を連れて行かなければならなかったお父さん。おばあちゃんは3人の子供達を一人で食べさせてやらなければならなかったから。
行けるだけ、まだ良かったのかも知れない。少しでも稼がなきゃいけなかったから、学校は仕事するために休みがちだった。
お父さんには兄と姉もいるが、彼らはもうその頃は大分おとなで、家を離れていたらしくて、だから父を筆頭に下3人の子供達は誰にも言えないような惨めさを味わっていた。
学校に満足に行けなかったり、行けるときは前述のように教室で弟の守りをしたり、どこか農家の手伝いがあるから、と学校を休んで肥溜めに貯蔵するためのものを運ぶ仕事をさせられ、それを同級生に見られたり…。
そんなことが原因でイジメにも遭った。
お父さん、ワタクシによく言ってた。
「オレは頭が悪いから、勉強なんてキライだし出来なかった。勉強なんか出来なくても生きていける」って。
でも、ある時、酔っ払って一回だけ、こんなことを言ったこともあった。
「小学校に入ったばかりの時はな、算数とか国語とか面白くてな。良く手を挙げて発表してたんだ」。
お父さん、きっと頭悪くなかったね。
諦めたんだね、ある時から。
辛かったよね。
でも、やっぱり、ちゃんと見てくれてる人っているんです。
神様って、本当にいるのかもしれない。
ブログはず〜っと残るから、これ書いてます。ワタクシの娘が大きくなってから、読んでくれたらいいな、と思う。
自分は父に比べたら、何不自由ない。贅沢だ。
なのにグータラだな、ワタクシ。
しょーがない。正直グータラは治らん。
でも、自分の父親が小さい頃から今まで、どんな風に過ごしてきたか。しかも、大昔じゃない、ほんの少し前の事だ。
それを、覚えておかなきゃな、ってやっぱり思うんだよ。
ということで、この続きはまたの機会に。